その昔、「ミニF1」と呼ばれたフォーミュラーカーがあった。
1960年代末、レースを夢見た若者達が海外のマシンや専門書を参考に、マシン作りに没頭した。
コンストラクターを興す者だけにとどまらず、数多くのプライベーターもマシン造りに情熱を燃やしその数は優に100を超えた。
その情熱はやがて開花し、このカテゴリーから多くのレーサーやエンジニア・デザイナーが生まれた。
マシン製作技術は急速に進化し、ミニフォーミュラ製作後5年足らずでF1製作にまで及んだ。
1968年8月25日、第3回富士TTレース ミニカーレースで
初めて1台のミニフォーミュラが出走。
AUTOSPORT誌より
1968年11月3日、富士スピードフェスティバルでは
4台のミニフォミュラが出走した。
AUTOSPORT誌より
隆盛を極めたミニフォーミュラであったが、1990年代前半には競争の過熱、FJ1600の登場によりその役目を終え終焉を迎えた。
FL誕生から50年を越えた今も、当時の「熱」は消える事なく、FLをこよなく愛するオーナー達が埃をかぶったマシンをレストアしサーキットを走行、その数は年を追うごとに増加、富士スピードウエイや筑波サーキットではJCCA主催で、鈴鹿サーキットでは「鈴鹿レーシングレジェンドミーティング」と称しサーキット走行の場を継承してきた。
ミニフォーミュラが生まれ、育った、1960年代末から1970年代、この時代は日本レース史の中でも、他に類を見ない途轍もなく稀有な時代であり、日本レース史の礎を作った時代と言っても過言ではない。
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